工藤遥さんが卒業した日。

昨日、2017年12月11日、モーニング娘。工藤遥さんが卒業しました。

嫌なのに

 

12月11日が好きではなかった。

 

なぜなら私の大好きな工藤遥さんが卒業する日だから。

 

何から書けばいいのかわからない。今の気持ちを書いてみる。工藤さんが卒業をして1日が経った。今でも実感がない。今、「工藤さんが卒業をして」って書いたけど、自分でも何をタイピングしているのかよくわからない。それにこれを書いている今少し涙が出そうになっている。出なかった。

卒業コンサートは、始まってからも 卒業する という実感は自分には全くなかった。いつも通りのコンサートが始まったような感覚だった。それは多分 完全に現実逃避だった。でも途中で気づいた。この曲、工藤さんが歌うのは最後なんだ。って。気づいた瞬間1曲1曲がとても重く感じた。苦しかった。1文字1文字が一瞬で終わっていくことに、(おいおいおいおい)と思ったけど、(おい)が追いつかない。嫌なのに過ぎていく。終わっていく。嫌なのに。

気づいたらこんな声が聞こえてきた「ここから後半戦!」、え?なんで?後半とかそんなのあるんだ。あるか、終わるし。終わるのか、嫌だ。

 

私は昔から「終わり」が大嫌いだった。1年の終わり、1か月の終わり、1週間の終わり、1日の終わり。物事の終わり全部つらい。だからといって「始まり」が好きなわけではなかった。ずっとこのままの感じが「続く」のが好きだった。

 

嫌だばっかりでわがままかよと思うかもだけど、わがままとかじゃなくて、それが自分の気持ちだから。

頭がまとまってないから話も飛び飛びだけど、工藤さんはソロ曲として『もしも…』を選曲した。私は『もしも…』は選択肢にはあったけど、歌わないだろうと思っていて、工藤さんのことだからハロプロの渋い曲とかをチョイスしてくるのかなと思っていたのですけど、『もしも…』が歌わないなと思った理由は『もしも…』だとストレートすぎるなと思ったから。ファンは『もしも…』を望んでる人はかなり多くいたと思う。でもその期待を真正面から受けてド直球で答えるのが工藤遥さんなんだと改めて思わされた。   今ここ読み返したけど、かなり文章がおかしいけど直し方がわからない。

 

アンコールでは『ピョコピョコウルトラ』を歌ってくれた。私は『ピョコピョコウルトラ』から入ったファンなので、この曲に思い入れがすごくあった。

初めて『ピョコピョコウルトラ』を聴いたとき、なんだこの曲は と思った。異常だ と。メロディ、歌詞と、正気ではないけどかなり楽しい。笑顔になる奇跡の曲だと思った。

その大好きでとても楽しい曲が工藤さんの卒業コンサートで観るとこんなに感情が溢れるものなのかと驚いた。サビの”Yeah Yeah Yeah Yeah ピョコピョコ Jump”という涙とはかけ離れた歌詞で涙が出てきた。楽しいが故のさみしさだったのかな。とにかくこの曲が聴けてよかった。

 

また話が前後するけど、卒業コンサートの本編が終わって、アンコールの「はるか」コールの時、会場全体がオレンジ色(いろ)一色になっていて、すごく暖かかった。本当に暖かかった。オレンジ色がよく似合うなぁと改めて思わされた。暖かい子だから。

本当に工藤さんはたくさんの人から愛されているんだなと思った。すごく素敵な空間だった。

 

最後の曲が終わり、メンバーが会場を練り歩き、メンバーが退場したあと、ステージ上のビジョンが青空からオレンジ色の夕焼けに変わり、工藤さんの手書きで「またね!」の文字が映し出されると、苦しかった心が少し楽になった。そうだよね、「また」だよねって。

工藤さんには未来があるから。若いんだし!無限だし!つんく♂さんもそう言ってたし。

 

日本武道館を出たとき、寒かったけど、そうでもなかった。

 

12月11日が少し好きになった。

 

なぜなら私の大好きな工藤遥さんが卒業した日だから。