『Tokyoという片隅』のMVを見た話

モーニング娘。'16の新曲、2016年5月11日発売の『Tokyoという片隅』のMVが公開されたので見ました。

 

こちらです。

www.youtube.com

 

このMVを見たオタクたちの感想の多くは「お金がかかってないのが丸わかり」というものでした。

私も同じことを思いました。お金もかかってなければ頭も使ってないやっつけ仕事のこのMVで客が大満足すると思ったのかな。本当にこの出来で「すごいMVができた!」と思ったのかな。もし本当にそう思ったなら良いんですよ。なんならかわいい。でも絶対そうじゃないのが問題だと思います。

 

「MVとかどうせオタクしか見ないからこの程度でいいか」みたいなのを感じるのが嫌。仲間だと思ってたやつの方が強く刺す。

別にドラマ仕立てにしてほしいわけではないし、あっと驚くような仕掛けをしてほしいわけでもない、ただお金をかけてほしいだけ。お金をかければいいものができるのか?と聞かれたら私は「はい」と答えます。お金をかけなくてもいい作品はできます、でもお金をかけたらそれだけよくなるのは確かです。お金というのは機材や撮影場所などもそうですが、時間や人もお金だと思います。たくさんの人をたくさんの時間拘束すればその分だけお金がかかります。つまりそういうことだと思うのです。私はこのMVを少ない人数で少ない時間で作ってると感じるのです。だから「お金かけてない」感を感じてしまうのかもしれません。

実際にお金をどれくらいかけてるかは知りません。めちゃくちゃお金かけてたらすみません…

 

新しいMVが公開されるたびに毎回「次こそはいいMV作ってくれ~」と思いながらツイッターでよかった点を絞り出してツイートしてます。悪いこと書いたらたたかれるし、たたかれるの嫌いだし、ツイッターってそういうところだから。

この『Tokyoという片隅』の感想は「変なMVでよかった~」とツイートしました。次はないぞ!

アイドルとファン(オタク)の距離感

 

私は古い人間なのか、アイドルというものは遠い存在であるべきだと思います。

もちろんこれは私の一個人としての意見なので何言ってんだって思う人も多くいると思います。でも聞いて。アイドルとそのファンとの距離は果てしなく広大であってほしいと思うのです。でも最近はアイドルとファン(オタク)の距離が近すぎると思う。

私のアイドルとファンとの距離は遠いほうがいいという観点から見て、地下アイドルというものは論外も論外なのでそんなのないものとして書きます。知らないし

 

まず私はアイドルは好きなので基本的に責めたりは全くもってしないスタンスなのですが、ひとつ きもいなー と思ったことがあったので書くと、アイドルは昔から引退、卒業(、解散)がつきものですが、グループから誰かが卒業する際に、その卒業するメンバーのオタクはこれからどうしていけばいいのかわからなくなることがあるみたいで、そういう時にアイドルの方から「釣る」という行為をされるようで、これは本当に気持ち悪いし、アイドルも落ちたもんだなと強く思いました。

「釣る」というのは、簡単に言うと「次は私のオタクにならない?」ともちろんそんなに直接的ではないけど誘ってくる行為のことで、私はそういうことをしていると聞いた瞬間、そのアイドルのことを嫌いになってしまいました。高嶺の花なんてレベルではない、雲の上の人である、そう雲の上にいなければならないはずのアイドルがこっちに寄って来るなよ。安いなお前。

 

私の個人的な意見として、アイドルはファン(オタク)のことを微塵も気にしないでいてほしいし、こんな私たちを、一人ひとりを認識しないでほしい。ファンの誰々、この人は誰々、なんてこと一切考えないで、ファンという一つの塊として認識してほしい。

こんなこと考えるのなんてもはや時代遅れで今の時代はファンとの距離が近いのこそアイドル。みたいなことは分かっちゃいるけど、どうもだめだぁ

 

そういえば、今の時代は「認知」という言葉もオタク界隈では当たり前の言葉として使われ始めていて、「認知」というのはひとつ前の投稿にも書いた、「個別握手会」というイベントでアイドルとたくさんお話したり、なにか印象に残るようなことをしたり言ったりして(キモ…)、アイドルに顔と名前(本名だったりあだ名的なものだったり)を覚えてもらうということで、私はその「認知」という言葉が大嫌いです。

ファンはアイドルに必要以上に近づくな、アイドルはファンにすり寄らないで。そう言いたい。そう言いたいのに。

でも時代的にそうしなきゃ、アイドルも頑張ってオタクの名前を覚えなきゃいけないみたいで、もう最悪だ。たすけて。